JE1QMS

アマチュア無線局 JE1QMS のブログです。1972年3月30日、50MHz A3 1W, TR-1200で開局。
14MHz JT65 で22年ぶりに復活後、CW練習や移動運用、自作ダイポール室内アンテナ、ウクレレQRLを弾いたりの後、マンション最上階からJT65/FT8などをゆる~く模索中(^◇^)

昔話

スタンバイ・ピーの話5

今頃になって、QRLの6月1日のを聞いた。

あれ~? スタンバイ・ピーって、普通はスタンバイ・トーンって言われてなかったっけ?? うちらのローカルだけだったのかな~??

TR-1200のスピーカーの脇に取り付けられるユニットが売ってて、それを買って、ピーのオンオフはスライドスイッチにして、自分でつけたですよ。w ラグチューのとき使いまくった。F3でしたけどね。

たぶん物置の奥にしまってあるTR-1200を開けてみれば、今でもついてるはずですけど、写真とるのも面倒なのでやりません・・・(^◇^)

PTTを離すときに、ピーが出るようにしてましたよね。アマチュア無線ではそれが妥当だったし。
QSOの最後に、昔は、PTTを2回押す習慣があって、普通A3でQSOすると、押したときは無音になるのだけど、スタンバイ・ピーを入れてると、ピーが2回鳴ってうるさかったwwwっていう記憶も~。あ、CWなら普通だったですね。最近全然CWやってなくて忘れてた。

確かに、アポロ11号の月面着陸(リアルタイムでテレビ見ましたよ。まだ小学生でしたが。はじめてアームストロング船長が月面から撮ったテレビ映像が、上下逆転してたので、テレビの前で逆さまになって見た記憶がwww(^◇^)。同じ年代の人なら多分わかると思うけど~)の印象が、多分全世界的にアマチュア無線やってる人の間で強烈で、それで、一旦発売されたらみんな買って流行りまくったですよね。それ以外の動機で買った人もいるかも?ですけど~

BCLブーム『以前』の時代

昨日のQRLでも話題になってた「懐かしの」BCLブームの時代・・・の本などのお話。
どの番組でもネットでも本でも、結局スカイセンサーの時代なんですよね。
個人的には、そういう一般世間のBCLのブームの前に、マイブームはとっくに終了してたので、今一ノリが悪いですね。スカイセンサーなんか発売になる前に、5球スーパーを叩いて真空管ソケットの接触不良をだましながら、中波の北京放送を聞きまくって、毛沢東死去のその日の放送も聞きましたから。w (しかし、録音したカセットテープが消失したのが今でも悔やまれるwwwでも今ではだれかYouTubeにうpしてたけど。

具体的には、北京放送、モスクワ放送 & ジャミングの嵐wwwですよ。

普通に解釈すると、単にブームを追ったからそういう話題には世の中の人は触れない。ちょっとひねった見方をすると、そういう政治色のある内容自体が日本国ではタブー。 ただ、BCLで聞いてるだけなら、全然政治色はないんですけどね。(当時、小学生(中学?)だったし。www(^◇^) ) あまり普通はそうは思わないだろうな?とwww。

一見、言論の自由??なようで、実際は、この国でもタブーは多いのが実態。まあ世の中そういうものですよ

なので、敢えてこれ以上は文章は書かないで、いろいろ貼ってみる。(要するに、一番facebookにはそぐわない話題ということですね。といいながら、1年くらい前に、自分のfacebookにこの話書いたけど~

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あの超強烈な「北京放送」の内容に触れられていないのが【ぬるすぎ】な、お上?の文章。
諸外国の短波による対日情報発信

「毛沢東語録」 「ピアノ協奏曲黄河」 「革命歌曲」・・・とか、「日本の同志のみなさん友人のみなさん。こちらは、ぺき~~ん放送局です。アメリカ帝国主義と日本軍国主義は張子の虎である・・・」とか、を平気で暗記してる人には常識な、こういうコンテンツ。






最後が切れていて、ものすご~く欲求不満になるですよね。なので、こちらをどうぞ。



わかる人だけ楽しんでもらえればおk・・・wみたいな~ (^∀^)

JE1QMS 1990年代のアンテナの写真が・・・・

Webを見ていたら、某所に、JE1QMS 1990年代の屋根馬とアンテナの写真が・・・・

という。当時はもうQRTしていたけど、アンテナの残骸だけは放置していたので、それが写真に撮られて某所に発表されていたという。

当然ながら、詳細は全部秘密ですよ~。w (^o^)/

いしだあゆみ、「ハローCQ」だって

珍しくサイマル放送でQRLを聞いていたら、そこで紹介されていた、なんと1964年のテレビ番組だそうで、東京12チャンネルの開局記念番組で、主題歌を いしだあゆみ が歌っているそうな。検索したらこのとおり。

「ハローCQ」

実にすばらしいサイト様。
超貴重な音源と共に、詳しい資料が満載。さすがに1964年にこんな番組があったなんて知らなかった。なにしろ東京オリンピックの前だからな~。もしかしたら無意識のうちにチャンネルをガチャガチャ廻していてたまたま見たことがあったのかもしれない?が、全く記憶には無い。

こういうサイト様はまさに、Webサイトの鑑ですね。 
尊敬しまくってこの記事を終わることにします。

過去の無線遍歴など

最初なので、開局以来の歴史などを書いてみる。

1972.3.30 JE1QMS 開局。QTHは東京都港区。
TRIO TR-1200 に、15mh(後で考えると実際は10mh位)の4エレ八木で、50MHz帯 A3/F3,1Wで開始。

1972-74位までは活発にオンエアしたものの、1975位から徐々に低迷。

----でも国家試験は受けて、2アマまでは取る。確か電信級のときは、送信試験までしっかりあった。試験場に紙テープ鑽孔機があったのを鮮明に覚えてますよ。
まあ最初は楽しかったけれど、ローカル局のほとんどが2~3年上の人でかつ21MHzメインの社会だったので、50-52.5のハンディだけではかなり制約がきつかった記憶がありますね~。
それを、2008年5月に曲にしたのが「哀愁のTR-1200」。

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1982.8月位に、IC-720A 50W改造機でHF、TR-9000Gで144開始。
はじめてCWにも出てみる。奇しくもその初CWが、電通大コンテスト第一回だったという。21, 144のSSBでしばらく復活。
1985.11月、さらにIC-551も加わって、50MHzもSSBで復活。
1987.7月、TR-9000GからUTV-1200/UTV-2400を介して、
1200,2400MHzにもオンエア開始・・・したものの、ほとんどその後交信できずかなりおカネのムダモードに。。。。゜(´Д`)゜。

しかし・・・1982年以降は学生ではなくて社会人だったので、あまり頻繁には無線はできなかった。要するに開局10周年で復活を計ったものの、断続的にやってその後6年でついに息絶えるという。

そして、1988.11.26 を最後に、長い長いQRT期間に入る。


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2003年頃、IC-720A で、PSK-31の受信実験成功。しかし送信は一回もせずに終わる。この頃はQTHは東京都町田市。

その後もずっとQRT。


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2009.6月、2アマを持っていればモールスの試験免除で1アマが取れるようになったのをはじめて知って、急に1アマを取る気になる。

2009.12月、1アマ国試受験して合格。

2010.6月、なぜかモールス免除で1アマを取ってから、急に和文モールスを覚える気になって練習開始。

2010.9月、CW送受信訓練は継続しているものの、とても悪いロケーションの中、実際にHF-CWをターゲットにオンエア復活に向けて画策中。A1 Club にも入会する。

         という感じですよ。はたしてどうなることやら。

哀愁のTR-1200

リズムがCWで、ホワイト・ノイズが「MIK」ベースが「U」、歌メロが「CQ」、シンセソロが「VVV DE JA1IGY」ですよ。w
ウクレレQRL

ウクレレならば小型でしかも電源アンテナ不要でいつでも移動運用可能ですよ~
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